新曲お披露目: そのものがたり

無沙汰にしています、小宇宙レコード主筆です。

久方ぶりの新曲お披露目。

最近はこんな感じの歌でやっております、よろしくどうぞ。



「そのものがたり」

忘れたくない ことばかり忘れて
しまうから そう そのものがたりを語ろうか

そんなに だいそれたことじゃない
陽だまりのように 目の前に
広がる 小さなできごと

だんだんと 夕暮れが
伝わっていく町の 風景だとか
ほほにあたる 風の圧を
想像してごらん

まだ見たことのない景色を
教えてほしい


言葉少なに なっていくのがわかる
君の名を そう 大声で呼んでみる

どんどんと 変わる町
変わらないものを 探していたら
たどりついた 金色の屋根の上

この世界の片隅で
待っていてほしい

近未来は生産ではなく支持することで成り立つのかも知れないし、それなりの幸せ感は仮想現実の中に見出せるのかも知れないし(2017年11月27日アップデート有り)

冬休みの自由研究の時間。近未来への唐茄子屋政談かまびすしい昨今。私もそれに参加すべく、最近の気になるトピックをまとめてみました。脳内に入ってくる様々な情報を思いっきり妄想の羽根をはばたかせてこしらえた小噺です。基本的には楽観と諦観が入り混じったモードでいきます。

 

「AIが仕事を奪う」という、近未来。

 

曖昧な予測を元にした記事ばかりがあふれているけれど、こちらは珍しく固有名詞と、はっきりとした数字が出ていた。

<富国生命>AI導入、34人削減へ 保険査定を代替 (毎日新聞)2016年12月30日

ニュース系ソースはしばらくしたらリンク切れするだろうから、概要をここでも。

日本IBMのAI「ワトソン」を使ったシステムを来年1月から導入することで、人員を34人削減するというニュース。「AIのコストは、システム導入に約2億円、保守管理に年1500万円程度。一方、34人の人員削減による人件費軽減効果は年1.4億円程度と見られる。」とのこと。

で、もちろん他の民間でこれと近い規模感のある企業は、販売管理費を下げるためにがんがん採用していくだろう。資本主義だし。

 

この話だけ見ると、「うわーやべえ仕事ほんとうに無くなってるよ…!」になって、「よーし、2017年からは俺もエンジニア(*)目指すか!」となっても、それは必ずしも最適解じゃないような気がする。*でも、美輪明宏ヨイトマケの唄』の歌詞中にある「エンジニア」という言葉は古びない、ごつい。

 

なぜなら、プログラミングすることの究極目標が「効率化」である限り、それはプログラマーという職業自体の抑制でもあるから。SF的には、「神的な、なにか」をプログラミングさせとくだけさせといて、惑星中をコンピューティングパワーで把握できるようになれば、「エンジニアさん、お疲れした!」と、コンピュータにクビを切られるような感慨もある。まるで「イサクの燔祭」のように。

 

そしたら、「君たちはどう生きるか(*)」。というと、のんべんだらりとはできないけれど、そんなに目をぎらつかせる必要もそれほどない、と思う。『北斗の拳』や『マッドマックス』のような世界にはまだ。

*『君たちはどう生きるか』は、児童文学者であり雑誌「世界」の編集長も務めた吉野源三郎の小説。第二次世界大戦できな臭くなってくるころ、1937年の発刊。

 

予感としては、これから10-15年程度をなんとかやり過ごす力こそが必要なのかなあ、と。そんな感慨をもつに至ったトピックをいくつかあげる。

 

1.そんなに仕事をせずとも生活できるようになってきている

まずは大きな物語から。バラク・オバマビル・ゲイツマーク・ザッカーバーグらがこぞって激賞しているサピエンス全史』。著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏はその続編、『ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来』でこう言う。

我々は初めて、飢餓、疫病、戦争という人類を悩ます3命題から抜け出しつつある

 

飢餓、疫病、戦争。

 

もちろんどれもが今現在も起きていて、それが主因で亡くなる人も多い。絶えることなく。でもそれらを裏返したような、

 

飽食、寿命、自殺者。

 

という原因で死ぬ数の方が、「飢餓、疫病、戦争。」よりも上回っているという(*)。

 

飽食、寿命、自殺者」が原因で死ぬ人が増えていく社会とは。物凄ーく乱暴にまとめると、前よりも、食べるための仕事をそんなにせずとも生活していけてるってことだ。むしろやり過ぎている部分があったり、資源の分配が最適化されていなかったりの方が、問題のような。

 

*例えば原著Homo Deus: A Brief History of Tomorrow』で引用されていたソース(p401)を一つあげるとこんなのが: Obesity killing three times as many as malnutrition

類似のソースでは、未来派野郎、ピーター・ディアマンテス世界が改善したことのデータを集め続けているサイトも、分かりやすい。

 

2.おおかたの仕事は機械と人口知能におまかせの時代になる

そして、丁度よいことに(?)、おおかたの仕事はコンピュータがやってくれることになりそうだ。井上智洋『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』はそこのところを物凄く分かりやすく説明している。現状の人口知能はどの辺まで進んでいて、具体的に何年代にそんな時代が本格的に訪れるのか。

 

「機械と人口知能におまかせの時代」になるというのはどういうことか。著書の中でも触れられていた、「機械と人口知能が人間を代替する経済構造」について示された図を引用させてもらいます。

 

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引用元: 人工知能が社会に与えるインパクト インフォグラフィックでわかりやすく解説#02 | Catalyst

 

さらに氏がごついのは、そうやって現状と近未来を示すだけではなく、きちんと明確な財源と数字を出して、そんな時代をしのぐ作戦を提示していること。ただ、井上氏のいうベーシックインカム導入が早めにすんでいようがいまいが、経済構造が人工知能を中心としたものへ移るのは否定できない。そこでは一番しのぎの立つ職業はやっぱり、人口知能を管理するプログラマーなのだろうか?

 

3.コンピュータ化の大命題は「効率化」なので、プログラマーも減るよね?

これに関してこんな小噺をひとつ。

この話はほんとうに落語みたいで好き。そしてひとしきりに笑ったあとに寒気がくる見事なディストピア小噺。でも、清水亮氏がズバッと指摘するように「コンピュータの進化とは即ち、効率化・高速化」であって、それが進めば進むほど、様々な業務の自動化もどんどん進み、それを管理する人員は減るような気がする。

 

研究者と剛腕プログラマーのみが残るメジャーリーグへ。

*ちなみに神的な力を持つプログラマーDead Programmerと呼ばれるらしい 

 

4.生産することじゃなくて、支持することで生活できるように?

本筋に戻ります。ここからは、さらに妄想の霧が濃くなってくる。

「1.そんなに仕事をせずとも生活できるようになってきている」

+

「2.おおかたの仕事は機械と人口知能におまかせの時代になる」

という条件が整ってくると、これまで1万年以上は続けてきた、「生産する」という、社会を成り立たせてきた前提条件が変わるのかもしれない。

 

その代わりには、「支持」がくるんじゃないかなあ。

ここでいう「支持」は、「ものすごく薄い投資の積み重ね」。「ものすごく薄い」の程度は、「今までは投資するのに手数料の方がかかっちゃって手が付けられなかった」範囲。だから、その支持=投資の対象はアーティストでも、プロジェクトでも、政党でも、なんならモノでも。

 

そう思わせられたきっかけは「ブロックチェーン」という技術と、それを使用しているアーティスト支援サービスプラットフォーム、「ピアートラックス」。

 

 「ブロックチェーン」についてはググればそこら中に説明があふれるので、ここではシステムについて説明しないし、たぶん自分も吞み込み切れていない技術なので深入りできない。ざっくりというと、

「大きな組織で管理する必要がない、ネット上の信用取引システム」

のようなもの。

 

なんじゃそりゃ?と思う方のために、物凄く分かりやすくブロックチェーンを紹介し、かつそれが社会に与えるインパクトを明確に説明した動画を持ってきました。 

 

まあ、動画を見ても見なくても大丈夫。妄想のまま話を進めます。

 

ブロックチェーン」とは、

「大きな組織で管理する必要がない、ネット上の信用取引システム」

のようなもの。

 

「大きな組織で管理する必要がない」から、取引にかかる手数料がいらない(*)。

例えばクレジットカードを使用すると、店舗がクレジット会社に手数料を支払う。これが無くなるとすると、いままでは手数料の方がかかっちゃって商売にならないものも商売になる。*ブロックチェーンをまわすエネルギー等諸々の問題はありまくる。ここではとりあえず見ないことにする。

 

信用の裏付けはシステム自体で完結するので、「大きな組織で管理する必要がない」。 

例えば「みうらじゅん賞」等を発行して、みうらじゅん氏が亡くなっても、彼が誰かに賞をあげたという事実はネット上で固定される。固定された事実はハッキングが論理的にできないから、第3者がその信用を担保しなくてもいいのだ(*)。

*少なくともいままで第3者に担保されていたどの信用よりも、はるかに信頼性があるという。ハッキングの込み入った話は、ここではとりあえず見ないことにする。

 

その技術を使用した「ピアートラックス」。いろいろとできそうなサービスだけれど、一番重要だと感じたのは、彼らが提供している「Notes」という概念。

 

「Notes」は、いわゆる「ファンクラブ会報の進化形」のようなもの。ピアートラックス上でアカウントをとったアーティストにはNoteが発行される。アーティストが好きになったら、ファンはそのNoteを買ってもいい。そうすると、いろいろの優先特典を受けられるというわけ。

 

「進化形」といったのは、ファン同士Noteで取引ができて、Noteは客観的な数値を元に価値が動くのだ。Noteは限定した数しか買えない。だから、Noteはアーティストが人気になればなるほど価値があがって、その価格差でファンも生活できるかも知れない。さながら投資のように(というか投資だ)。

*こうなると、「本当のファンならどんなに価値があがってもNoteを売らない云々」という話になってきそう。これ株投資よりも、より切実な話になるなきっと。

 

「支持」が「投資」になっているのがピアートラックス」のNotesという概念。

 

そこにブロックチェーン技術が入ることによって、ものすごく薄い投資の積み重ね」が可能になっているというわけ。ここではたまたまピアートラックス」という一つのサービスのことだけを取り上げたけれども、技術と法的なハードル次第で、どんどん広がっていきそうだ。

 

なによりピアートラックス的な仕組みがいいなあと思うのは、誰もがなにかの達人にならなきゃいけないわけではないということ。「達人or死」という悪夢的な未来じゃなくて、ゆるっとした支持の積み重ねで、周りよりふわっとした存在になれるということ。経済的にも(そういう期待も込めて)。

 

アップデート(2017年4月9日) 

ピアートラックス」は現時点ではサイトが落ちているよう。SNS関連も更新が止まっているし。先行き不安になってきたけれども、類似サービスは結構ある。ので、ここではブロックチェーン技術を使って音楽産業を変えようとしているサービス、機構、団体をリストアップしておきます。順次追加予定。

ujo Music

dotblockchain Music (dotBC)

Mycelia

bpi (BRITISH PHONOGRAPHIC INDUSTRY)

MUSIC2020

アップデート(2017年11月27日) 

「Brave」ブラウザ、YouTuberへのビットコインでの投げ銭が可能に - ITmedia NEWS

 ビットコインの送金自体が、かなり高くなってしまった。ので、送金コストがほぼない他のサービスに代替されれば、という感じ。

 

未来派野郎はみんな読むWIRED誌の創刊編集長、ケヴィン・ケリー氏のことばに、「千人の忠実なファン」というのがある。「千人の忠実なファン」、つまり、アーティストのためにたくさんお金を使ってくれる人が千人いれば、それで生活できるのでは?という提案だ。

 

彼のことばをもじっていえば、「千人の忠実なファン」ではなく、「100人のアーティストのファンになり、少しずつ投資すれば」、作家や達人でなくとも生きていけるということ。そういう期待も込めた目で、ブロックチェーンやらAIやらなんやらが諸々のハードルを下げていくことを、楽観的に見ていく。

 

5. 「もともと特別なオンリーワン」と幸せを感じながら、VR世界で暮らす?

で、そうした「4.生産することじゃなくて、支持することで生活できるように」なったとしたらどうなるのか。

SMAP世界に一つだけの花』の歌詞にある「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」という神話が現実味を帯びてくる。

NO.1にならなくてもいい」のはピアートラックス的な仕組みで、「生産ではなく支持すること」で生活を成り立たせるから。でも、それだけじゃやりがいが足りない。やっぱり自分でなにかしたい。それが認められたい。

 

では、「もともと特別なOnly one」と感じるには?

 

「現代の魔術師」の字を持つ落合陽一氏はこう書いている。

 

(中略)ハコスコやGoogleカードボードに見られるように、誰でも安いVR装置を購入することを可能にした。この装置は、今まであった貧者のヴァーチャルリアリティを更新しうる。ひとりひとりが低コストで別の世界を目指すことができるようになるからだ。

 

ここで持ちうる大雑把な仮説としては、共同幻想を失った我々は、共同幻想が回帰しうる10万人程度の世界を7万個作り出し、70億人を分割することで暮らしていくのではないだろうか? その中で我々は現実に帰属する時間と、各々の現実に帰属する時間を住み分けながらうまくやっていくのではないだろうか。

 

FUZE「僕らは2016年のことをどんな風に思い出すだろうか? 楽観的シンギュラリティ、貧者のVR、魔法の世紀へ

例えばSF作家フィリップ・K・ディックの代表作品(のほんの一つ)、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』 にでてきたエンパシーボックスなんて、これに近い。そのハコの取手をつかむと、全世界のハコの取手を握る人たちと同じ感覚を味わうことができる。

落合氏は分かりやすいトピックとしてVRをだしているけれど、「現実に帰属する時間と、各々の現実に帰属する時間を住み分けながらうまくやっていく」ことが出来さえすれば何でもいいのかも知れない。その「うまくやっていく」ことのなかには、脳生理学的に幸せを感じさせちゃったり、気がついたら『マトリックス』的に延髄にプラグを刺している状態になっちゃっているのかも知れない。

 

6. ユートピアでもディストピアでもなく

こういう近未来派野郎自大的な話をしだすと、すぐにディストピア的な傾向になるのはきっと育ってきた環境のせい。『火の鳥』や『AKIRA』や『攻殻機動隊』や…。自分のディストピア的妄想をただすために、名文を二つ引用して、今年の冬の自由研究を終えたい。

 しかしユートピアディストピアも、我々が向かうべき方向ではない。テクノロジーはむしろ我々を「プロトピア」に向かわせる。より正確に言うなら、われわれはすでにそこに着いている。

 プロトピアは目的地と言うより、ある状態に<なっていく>ことを指す言葉だ。つまりプロセスだ。プロトピアの状態では、物事は日々良くなっていくが、それはほんのちょっとだけでしかない。漸進的でゆるやかな進歩だ。プロトピアという言葉の「プロ」という部分は、プロセスや進歩(プログレス)から来ている。このわずかな進歩は劇的なものではなく、興奮するようなものはない。プロトピアでは新に生み出される利便性と同じぐらい新しい問題も起きるので、このわずかな進歩は見過ごされやすい。

 

ケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則』21p.

 

人工知能は,人間のように情緒を感じるようになりますか?」と尋ねられたとき,こう答えるようにしている。

人工知能が私たちの生活に入り込むとき,私たちから情緒を感じる能力が失われるから,それほど差を感じなくなるでしょう,と。

 

『日立評論 2016年4月号 特集 人工知能という希望 AIで予測不能な時代に挑む』の「一家一言 新井 紀子 近似的解決と真の解決」より。

 

 あ、もう一つ。これも呪文のように唱えます。

  

 

 

私の恥ずかしい記録を紹介します:常備菜をめぐる冒険

私の恥ずかしい写真を公開します。

 

今年の私の裏抱負は「毎月1つ新しい常備菜を作る」でした。

 

料理歴が生涯累計10日くらいだった私が挑んだ2015年のテーマは、「毎月1つ新しい具材を使ったスープを作る」でした。一時は中断も危惧された荒行でしたが、乗り越えたことで得たものも多かった…(遠目)。これはその続編です。途中やや常備菜を逸脱した気配も見えますが、なんとか今年も無事完遂できました。どうぞご笑覧を。

これらを決して料理自慢写真としてとらないでください。これらは苦闘と成長の冒険譚です。誰ぞか料理のエキスパートがいれば一つ必殺技を伝授してくれるとありがたいです。来年もよろしくお願いします。

1月の常備菜:ブロッコリーの蒸し焼き

今年はスープに加えて、一汁三菜の「一菜」を毎月増やすことを秘密プロジェクトとして実行します。その1回目。オリーブオイルと塩、少量の水をかけて、鍋で強火4分余熱2分。超楽だが超美味しい。幸先良し。

本当に楽で美味しいので、このブロッコリー蒸し焼き、今ではほぼ毎週作ってます。作るたびに微調整していて、2016年12月現在では「強火6分30秒、余熱10分」が最高という結論に至っています。炊き込み用の鶏胸肉や、ネギ、さつまいも(これは凄く薄く切っていれる)、などと一緒に蒸すと、得も言われぬ料理やったぞ感が。

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2月の常備菜:容赦する生姜シロップ

2回目にしてすでに「菜」から離れるという業の深さを見せる、だって寒いのだもの。テンサイ糖と混ぜて放置しておくとジワっと汁が出てきたのに感動。毎夜寝る前にお湯で割ってキュッと飲む、私の養命酒

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3月の常備菜:味玉

他人様のレシピ通りに作ったら感動的にうまかった。「インターネットで、世界は変わる。」を体感した、煮卵。表面はふわっと、中身はどろっと、してます。尊敬の念を頂きながら拝読した記事は、こちら

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4月の常備菜: 小松菜とシメジと油揚げの突き出し

(隠れ)料理師匠から伝授されたレシピ通りにこなしたら、初めて料理やっている感がした。ごま油をベースに、日本酒を少々、ヤマキのめんつゆ2倍濃縮をからませて炒めた。美味し。

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5月の常備菜: 人参のナムル、っぽいもの

いつもの如く材料が足りないままやるので半独自レシピ(適当ともいう)。強火で5分茹でた細切れ人参にMCTオイル、醤油、めんつゆを混ぜ合わせて、その上に炒りゴマをかけて出来上がり。美味し。

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6月の常備菜: 豚肉と野菜の重ね蒸し

1月のブロッコリ以来、猿のようになにかあれば蒸すことを繰り返しています。だって全部美味しいんだもの。もやしを敷いて、その上に肉。玉ねぎで閉じて、水少々で20分弱火。梅雨入りなので2日で食べきる。

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7月の常備菜:アボカドと野菜のマリネ

アボカド、ブロッコリ、パプリカ、トマトをざくざく切り、その上にオリーブオイル、リンゴ酢、海塩、パクチーを混ぜたドレッシングを投入。完璧なるBack to 常備菜である。夏だから早めに食すけれど。

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8月の常備菜:茄子の煮浸し

鉄板に敷かれた油を起爆剤に、思いのほか飛び散ってくる生姜に半袖短パンで立ち向かう。壮絶な闘いを乗り越えたその先には、黄金色のダシに浮かぶ、深い紫色の喜望峰が待ち構えていた…(謎のヘミングウェイ調で)。

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9月の常備菜:さつまいものレモン煮

いつもの蒸しブロッコリの延長で。鎌倉はちみつ園で採れたしろつめ草の花蜜と、ポッカレモン100をいい加減にふりかけて、ひたるくらいの水で煮立てる。10分中火、5分余熱で完成。カンタンで美味いは正義。

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10月の常備菜:あんまり甘くないスイートポテト

あえて常備菜と強弁するぞ。調味には砂糖ではなく少しの蜂蜜。生クリームではなくビフィズス菌入り牛乳。そしてまぶしたミックスナッツ。そう、デザートやおやつのフリをしているが、これはれっきとした副菜なのだ。レタスとあわせ毎晩食すつもり。

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11月の常備菜:焦げ目をずいぶん省いたはちみつヨーグルトケーキ

段々と常備菜からお菓子作りに移行しているのは来年の布石か?でもかなり甘みを抑えているので、普通に夕飯として食べた。なによりベーキングパウダー初体験だったので、オーブンの魔法を思い知った。来月最後、なにをやろうかな…。

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12月の常備菜:小松菜と高野豆腐のふくめ煮

「今年の総括」という言葉が全然似つかわしくない、なんの変哲もない一皿だけど、これこそ常備なのだ(威勢よく)。でも今までで一番胃に優しい。人生初の高野豆腐。固いのが水を吸ってふやけていく様、食感、全部おもしろいなあ。つくおきレシピより。

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道しるべとなったホン、サイト、モノ

何度も(特に後半)挫けそうになった私を支え、導いてくだすったバイブル(特に書名)。書名(と署名)が素晴らしい。2016年度書籍タイトルベスト1だよ、個人的に!

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

 

 

こんなに生活者目線なウェブサイトを私は他に知らない。ありがたや。

 

蒸し料理にはすべてこちらを使用。アルベルトさんにはお世話になりっぱなしだった。経緯を表してイタリアに賀状を送りたい。

 

2016年に発売された音楽で良かったものベスト10

2015年12月の音楽振り返り記事で、「今年は実質的な音楽配信サブスクリプションサービス元年だったなあ」と書いていて、1人で盛り上がっていたけれど、日本ではそんなにドカーッと風景が変わるようなことが無かったような気がする。ゆっくりゆっくり、見た目は静か~に浸透していっているような。

ともあれ、自分はApple Musicをずうっと続けていて、お蔭でずいぶんと聴く音楽の種類と、幅と、奥行きが増えた。増えすぎて、どんなにお気に入りだったアーティストでも、とにかく忘れちゃう。なのでどうしても忘れたくないものは、CDの形で買っておいて机に置いておいたり。音楽との付き合い方がガラッと変わっていった一年でした。

あと2016年で象徴的だったことは、「音楽配信だけで、CD発売は無し」というケースも少しずつ出てきたということ。来年は、この流れが一層と増えてくるだろうな。さてさて、今年に発売されたもので良かったものを書きます。配信経由だったり、YouTube経由からだったり、流入元はいろいろあれど、音楽は変わらないさ。しばしお付き合いください。

■1 寺尾紗穂 / わたしの好きなわらべうた 

わたしの好きなわらべうた

わたしの好きなわらべうた

 

歌って、書いて、調査する。そのすべてが刺激的な寺尾氏の最新作。『WEB本の雑誌』で今年の1月から連載中のエッセイ、「私の好きなわらべ歌」を元にした作品。連載記事それぞれの密度が濃く、本作を聴きながらその歌の起点の背景を知ることができる。

「伝承者がいなくなって消えてしまいそうな歌」を集めて、自身のフィルターを通して新しく編み直す作業。新曲を書くよりもタフかもしれないその作業を、自分の活動の延長線上に置くこと。一昨年このブログで書いた、『2014年に発売された音楽で良かったものベスト10』でも触れた、松田美緒氏の『クレオール・ニッポン──うたの記憶を旅する』もそうだった。

彼女らの原点とも呼べる仕事に、小沢昭一氏の『ドキュメント「日本の放浪芸」~小沢昭一が訪ねた道の芸・街の芸~』がある。それぞれ対象とするモノゴトとの距離感は違えど、のめり込んでいく興奮の度合いが伝わってきて、嬉しくなる。

そういえば今年の『WIRED』WEB版にも、こんな記事があった。サクッと読むというよりは、ちょっとした短編くらいの濃度を持っているので、年末休みに読むのが吉。

 

■2 青葉市子 / マホロボシヤ

マホロボシヤ(CD)

マホロボシヤ(CD)

 

「たったひとりのことば」を紡いでいく青葉氏。この場合の意味は、「消滅していくことば」ということではなくて、「表現を突き詰めていったらひとりになっていた」という具合。表題曲の「マホロボシヤ」の意味は歌詞を読むと、「空に馳せる幻の鳥」であることがわかる。その鳥はメーテルリンクの童話『青い鳥』なのか、戦前の児童雑誌『赤い鳥』、はたまたサブプライムローン危機(幻の崩壊)を予見したナシーム・ニコラス・タレブブラック・スワン』なのか。

そのどれもがもっともらしいけれど。何度も繰り返して聴くと、童話『鶴の恩返し』で鶴が主人に隠れてギッタンバッタン機を織る姿を思い浮かべてしまった。主人がそれを覗いてしまうと、その「幻の鳥」は消えていってしまうのだ。そんな、密やかな作業を覗き見るような気になる。ミュージックビデオでもそんなプライベートな所業を思わせるような仕組みがある。

アルバム『マホロボシヤ』は、初期の3部作『剃刀乙女』、『檻髪』、『うたびこ』と近い、弾き語りを中心とした作品。そこに曲と曲の間に句読点を打つように、自然と環境音がかぶさったり、自宅録音のようなピアノトラック(「コウノトリ」)がはいったりして、全体的に演劇性が増したような印象がある。

歌詞と曲について。北原白秋西条八十、野口雨情。戦前の童謡詩をベースに、新しいことばをつなげていく(例えば前作『0』の「iam POD (0%)」)。それも刺激的だけれども、なによりもメロディ・メーカーとしての力量が凄い。最近でいうと、映画『この世界の片隅に』の挿入歌、「悲しくてやりきれない」が浮かぶ。作曲は加藤和彦(「あの素晴らしい愛をもう一度」)、作詞はサトウハチロー(西条八十に師事)。まるでこの二人分を一人でやっているような。

*ちなみに青葉氏の出生は千葉県浦安市らしいけれど、サトウハチロー氏は浦安小学校校歌の歌詞を書いている。

 

■3 コトリンゴ / この世界の片隅に

劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック

劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック

 

1945年8月に敗戦するまでの広島・呉に住む人々のくらしを描いた『この世界の片隅に』。映画の予告とオープニングテーマに使われたのは、サントラ全体を担当されたコトリンゴ氏が歌う、「悲しくてやりきれない」。

詞を作ったのは、サトウハチロー氏。この歌のオリジナルが発表されたのは1968年だし、あくまで依頼を受けて書いたものだから、戦争との関係は薄いと思う。でも彼の弟は1945年8月6日、広島への原子爆弾投下によって亡くなった。弟を「捜しに行き、宿屋跡も見つけたが、遺骨・遺品は一切見つからなかった」という。

そんな背景を知ってしまうと、あくまできっかけは流行のバンドに提供した歌詞だったのかも知れないけれど、彼がモヤモヤと抱えていたものが、フッと出てきたのじゃないかと感じてしまう。

胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに告げようか

そんなモヤモヤとした重力を持った原曲に、軽さを与えて今様にしたのがコトリンゴ版だと思う。その軽さというのは、「日々のくらしは続いていくから、そんなに毎日重くしていられないっしょ!」とでもいうような、「強い意志のある、軽さ」だ。映画の主題とマッチしている。そのコトリンゴ版「悲しくてやりきれない」が使われた予告版を見ると震える。ちなみに本予告、サントラ用に新しいアレンジ(バンドから弦楽器)で録音し直していて、それがまた「強い意志のある、軽さ」を感じさせる。

 

■4 Francis And The Lights / Farewell, Starlite!

今年一番ウキウキさせられた音楽。まず名前から。Francis And The Lightsというのは、Francis Farewell Starliteが中心となって結成されたプロジェクトのようだけど…、「さよならフランシス星明かり」ですよあぁた。地方巡業で温泉街を練り歩く演歌歌手か、それとも宮沢賢治の生まれ変わりなのか。そして作品名が「さよなら、スターライト!」、なにかオザケンぽくもあるな。

しかしよく見ると「スターライト」は、「星明かり(Starlight)」のそれと微妙にスペルが違う。検索すると、「驚異的な耐熱を誇る素材」だったり「NASAが開発したビデオゲーム」だったりがでてくる…。すごく意味がありそうじゃないか。いやでも、「ちょっとスペル変えたら俺格好いいっしょ?」と、ただ単に音をそろえたかっただけのような声が聴こえてくる。

というのも、名前はともかく、彼は圧倒的にいまの人なのだ。このライブ動画でお客さんと一緒にはっちゃけている様を見ると、それがよく分かる。今様ではあるけれど、なんかヘンテコな踊り方。というかこれが第一線なのか2016年。

さておき。収録曲それぞれ、名前のいなたさに反しまくって格好よい。現代的なトラックにのったロボ声、つんのめるリズムの妙、気の利いたエフェクト、そして彼の歌。くわえて、チャンス・ザ・ラッパーやボン・イヴェールカニエ・ウェストといったきら星達が集結した、類まれなる作品になっている。

なによりこの作品は無料なのだ。いや、無料というと語弊があるな。ただ少なくとも作品が発表されてからの長い期間、彼のオフィシャルサイトでフリーダウンロード可能だった。いまはそれはできないけれど、引き続きフルレングスで全曲聴くことができる。買おうとすればAmazon.comApple Musicで買うことができるけど、MP3で1000円くらい。新生ジャパネットもびっくり。

ただまあ、この音楽配信サブスクリプション時代、普通にCDを売っていても先が見えている。どれだけ知るきっかけを広げられるかが勝負。そのあとは、ファンになってからライブいったりグッズを買ったりだとかにつなげられれば、なのである。だから、彼はただの演歌歌手ではない。現代の宮沢賢治っぽい動画もあるよ。ほれぼれ。

 

■5 Maria Bethânia / Tempo, Tempo, Tempo, Tempo (Ao Vivo)

Tempo, Tempo, Tempo, Tempo (Ao Vivo)

Tempo, Tempo, Tempo, Tempo (Ao Vivo)

 

夏はこれしか聴いてなかった気がする。ライブ版は数あれど、ブラジルのアーティストによるそれは、「サポーターは12番目の選手」とでも言わんばかりに、観客も演者のように主張しまくる。そしてこの版は、とくに演劇性と曲目構成が凄い(この2-3年で彼女はライブ作品を立て続けに出している)。兄であるカエターノ・ヴェローゾをもしのいでいる気がする。

43曲もあるのに、全く飽きることなく聴き返したなあ。歌もそうだけれど、語りパートが結構あって、もちろんなにを言っているかは分からないのだけれど、包み込むような声の抑揚と、お客さんの熱いレスポンス(「サビがきたら必ず合唱だよ!?」な雰囲気がいい)でもって、グイグイと世界に惹きこまれた。

なによりもリピートして聴いたのはこの歌。できれば、どこぞかで購入してフルレングスで聴いて欲しいです。真夏の夜の夢

Céu de Santo Amaro

Céu de Santo Amaro

  • マリア・ベターニア
  • MPB
  • ¥150

■6 Caetano Veloso, Gilberto Gil / Multishow Live 

Dois Amigos Um Seculo De Musica: Multishow Live

Dois Amigos Um Seculo De Musica: Multishow Live

 

そして、今年の秋はカエターノ・ヴェローゾの季節だった。今年来日して、奇跡の弾き語りライブをみせてくれたのも忘れられない。取材と文:中原仁/通訳:國安真奈という、名うてのブラジル音楽粋人たちによる、来日時の濃すぎるインタビューがこちら。歴史と、家族と、政治のぶあつい層が、短いながらも凝縮された記事になっている。震える。固有名詞をググり勉強する。

インタビュー記事にもある、1968年発表のアルバム『トロピカリア』。そのころから共に第一線で活躍し続けている、ジルベルト・ジル(元文化大臣)との2人きり弾き語りツアーの記録が、本作品だ。2人が半世紀に渡って発表してきた歌からそれぞれが持ち寄って、互いに1番ずつ歌ったり、丁寧な伴奏に徹したり、そしてお客さんに歌わせたり。弾き語り音楽探求家としては、バイブルとなっているのであります。

 

■7 Leonard Cohen / You Want It Darker

ユー・ウォント・イット・ダーカー

ユー・ウォント・イット・ダーカー

 

アラン・トゥーサンデヴィッド・ボウイ、プリンス。新たな絶頂期を迎えたと思ったらあの世にいってしまう方々が多くなった気がしている。

レナード・コーエン翁もやはり、まるで自分が死ぬ瞬間を十分に心得ていたかのように、最高傑作を残してさよならしていった。追悼予告のようなThe NEW YORKERの長編記事では、1曲目のサビ部分の歌詞について触れられている。

Hineni Hineni
I'm ready my Lord.

「Hineni」はヘブライ語で「私はここにおります」という意味。息子を生贄に捧げよという神から求めに答えて、という文脈。用意ができたのは、死地へと旅立つ男の準備。ジャケット写真の「窓の向こう側からタバコを吹かしているダンディ」姿は出来すぎている。ノーベル文学賞ボブ・ディランではなくてレナード・コーエンが受賞していたら、さらっと貰ってくれそうだったのに。合掌。

 

■8. Brian Eno / Ship

「Ship」というと長渕剛の「Captain On The Ship」しか出てこないボキャブラリ貧困の私ですが、この久方ぶりのイーノの熱唱には、剛の富士山麓「10万人オールナイト・ライヴ」級に胸にくるものがありました。お前が舵をとれ!

1969年に発表されたヴェルヴェット・アンダーグラウンドの作品から、「I'm Set Free」。半世紀経ってからイーノのアンビエントなカバー。まるでこのアレンジを待っていたかのようにしっくりきている。「僕は自由になる、新しい幻と出会うために」 。3年前に亡くなったバンドのリーダー、ルー・リードのことを想ってか。泣きそう。

ちなみに今年一番ヒットした記事は、イーノ自身もわざわざリツイートしていた、こちら。『タモリ倶楽部』でも特集されていましたね。この記事、ライターも楽しんで書いてそう。出だしが『ジョジョの奇妙な冒険』風で大変ミステリアス: 「オーディオシステムの音質を極限まで高めるために、森田武男さん(82)は電柱を一本買うことにした。」。

 

■9. オクノ修 / ホジキンソンさんの言うことには

ホジキンソンさんの言うことには

ホジキンソンさんの言うことには

 

日本で音楽をやっていて一番スタイリッシュなのは高田渡氏だった。その氏が亡き今、オクノさん(「さん」とつい呼んでしまう)が一番スタイリッシュなのだ。流行の言葉(?)を使えばオクノさんは本来のノーム・コア。佐々木俊尚氏の最新刊『そして、暮らしは共同体になる。』ではオイシックス、北欧暮らしの道具店、くらしのきほん、が取り上げられていたけれど、オクノさんの暮らしの歌はずうっと前から共同体だった。

京都は河原町三条にある老舗喫茶店、六曜社のマスターを勤めて生活を成り立たせ、家族を養い、ながらも歌をつむぎつつ。いろいろな経緯は、京都新聞による2015年の特集記事、「六曜社物語」に詳しい。その記事の中でも、一番感動的なくだりを引用させていただく。

63歳。今も「オクノ修」としてライブで自作曲を歌う。飾らない中に、断固とした芯を持つ歌声を響かせる。「僕にとって音楽は仕事ではなくて生きることなんです」

 

 高校時代から交流が続いた高田が10年前、ふらっと店に現れた。ウイスキーのロックはやがて、持ち込みの日本酒に移り、つぶやいた。「好きな音楽をやってきて本当に良かった」。たとえ歌が売れずに貧しくても信じた道を進む-。修さんの心に響いた。高田はその数カ月後、公演先の北海道で亡くなった。

そんなオクノさんが13年ぶりに新作を出した。「音楽は仕事ではなくて生きること」だから、時間とかノルマとかは、あんまり関係ない。表題曲の「ホジキンソンさんの言うことには」なんて、少なくとも7年前から歌われていた。その7年前の記録が素晴らしい密度でYouTubeにあがっているので、こちらを見ながら、歌詞を読んで欲しい。

ホジキンソンさんの言うことには

僕らの町は影の町で

静かな風が吹いても

それはまやかしなんだとさ


ホジキンソンさんの言うことには

怒りや憎しみだって
まして深い愛さえも

ほんとうははじめからなにもなかったんだってさ

 

オクノ修「ホジキンソンさんの言うことには」

 

■10. Frank Ocean / Blonde

Blonde [Explicit]

Blonde [Explicit]

 

「全世界的にこれが1番売れてるよ!」、とは言えないけれど、おそらくこのアルバムは世界20位くらいに有名になったのではなかったか。昨年のベスト10にあげたJustin Beaverの時もすでにそうだったけれど、音楽でもなんでもかんでも、分野がどんどん細分化していって、「全世界的にこれが1番売れてるよ!」というものが出にくくなっている。出ないというか、出方がガラッと変わってくるというか。そこらへんはこちらの記事に詳しい。

ただ私にとってはこのアルバムが、プレスリーやビートルズマイケル・ジャクソンレディオヘッド的な、2016年を思い起こさせるものになる気がする。曲目のクレジットには面白い驚きが詰まっている。「Kendrick Lamar」、「Tyler, the Creator」、「James Blake」といった今をときめく方々に混ざって、「The Beatles(ギャグですよね)」、「Close to You(バート・バカラック!)」、「Gang of Four's」、「Elliott Smith」といった、「おっこれも!?」な面々がずらり

 

レコードも、CDも、音楽配信もごった煮であって、それぞれが復活したり、売れ残ったり、無料になったり、ならなかったり。聴く側、演奏する側、制作する側、それぞれのフィールドもお互いに浸潤しあってごった煮になっている。その状況が濃かったのが、2016年だったのかもなあ。

長々とお付き合いくださりありがとうございました。なんだか年を経るごとに長文になってきている気が…。師走の折、隙を見てつまみ食い程度に読んでいってください。気に入ったら広めてくださると嬉しいです。ではでは。

 

■2015年のベスト10

■2014年のベスト10

■2013年のベスト10