犬はフォノグラフを聴いたりしない(「夕暮れ」試聴音源をUP)

今日は『風邪をひかない』の最後に収録されている、「夕暮れ」という曲について。あ、ちなみにこの自主的連載はあと2、3回続けます。そのあとはまた潜ります。たぶん。潜ってまたなんかこしらえて帰ってきます。これもたぶん。さて「夕暮れ」という曲。着想のきっかけは10年以上前のむかしむかし。


学校の帰りすがら、夕暮れ時。寂れた商店街の一角にあった、自営業の電気屋。その店先にたたずんでいたビクターの犬(の置物)の、中空を見つめるような、ぼーっっとしたような、日が暮れてますます寂しそうになった、まなざし。これにはやられた。その時の自分の状況も反映して、ますます。


大学4年生の最後の、微妙な数ヶ月。就職活動はしてこなかった割に、周りの動向は嫌でも飛び込んでくる。「ああ動く。世の中が動く」(by夏目漱石in『それから』)ばりに焦った心持ちながら、妙に落ち着き払った時期もあって、という。この時はまだ「夕暮れ」は書いていないけれど、曲を書く際にはこの夕暮れ時を思い浮かべていた気がする。


そのあと何年か経って2007年2月に、聴神経腫瘍の手術を受けた。結構腫瘍が大きかった(3cm大)せいもあったのか、術後は全く歩けなくなってしまった時期があった。車椅子で1ヶ月くらいを病院で過ごし、退院してからも半年は実家周りでリハビリ。


無職で時間もあったので、杖をつきながらヨロヨロと公園へ行き、夕日が沈むまで眺めて、暗くなったら帰った、そんな毎日。いま考えると凄い絵だな~、と思うけれど、術前まで感じていた焦燥感は全くなくなっていた。リハビリついでに図書館へ行って色々な「夕暮れ」に遭遇した。例えば、、


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花が吹いて来る
夕暮の真空な空間に
白い花びらがキラリと光る
まぶしいようなやすらぎ
空はなぜか青い
有元利夫もうひとつの空―日記と素描』より)
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つらいことだけれど
道は
日が暮れてから
ほんとうは はじまるのだ
足立巻一『日が暮れてから道は始まる』より)
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あとは黒田三郎の「夕暮れ」(高田渡氏が歌っていた元の詩)や、『寺山修二青春書簡』にあった、寺山氏が10代の終わりに入院中の病室の窓から見たという夕暮れのこと。前田夕暮という詩人の名前の格好よさにも、痺れた。他にもあって(この頃はなかなかの図書館狂だった…暇だったし)、


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拠り所となるのは、明るさや速さや確かさではなくて、
戸惑い途方に暮れている状態から逃げないことなのだ
保坂和志途方に暮れて、人生論』)
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日暮らしの勤めに疲れ
帰っていくわたしを待つものは母ではなかった
ひとつの室であり
暗くなれば点るあかりであった
わたしにも
ひとつの明りがあたえられ
ゆうぞらに端座する屋根がわたしを迎えてくれた
大木実大木実詩集 (現代詩文庫)』より)
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等など。高村光太郎氏が大木氏の作品を評して、「日本に於ける質素な、かくれた生活そのものの詩が、さびしいけれどもたのしく、力まないけれども決然とした覚悟を以ってひびいて来る。」と書いていたのにも、痺れた。背筋がしゅっとのびた。


こんな様々な「夕暮れ」に遭遇する中で、少しづつ自分のも出来上がってきたという次第です。真面目にやるとかなり寂しい歌ですが、まあ、元も寂しいのでしょうがない、勘弁してください。「夕暮れ」という歌、聴いてみてください。

 

 

あ、ちなみに歌詞にも使った「ビクターの犬」というのは「ニッパー君」ということ。この犬が有名になったエピソード、最近になって知りました。泣ける…。

 

ニッパー陶器置物 (130)

ニッパー陶器置物 (130)