「にぎやかな夜は まるで私ひとりの祝祭日」。
夜のことを、こんな風に素敵に表現したのは、詩人石垣りん氏。
この部分だけ切りとると、ほっこりとした、幸せな気分となってしまうかも知れない。
でも実は、その表現が収録されている詩全体を読むと、まったく印象が変わってしまう。変わるどころか、まったくの逆。
その詩のタイトルは、「その夜」という。どんな夜か。
その夜
女ひとり
働いて四十に近い声をきけば
私を横に寝かせて起こさない
重い病気が恋人のようだ。
どんなにうめこうと
心を痛めるしたしい人もここにはいない
三等病室のすみのベッドで
貧しければ親族にも甘えかねた
さみしい心が解けてゆく
あしたは背骨を手術される
そのとき私はやさしく、病気に向かっていこう
死んでもいいのよ
ねむれない夜の苦しみも
このさき生きてゆくそれにくらべたら
どうして大きいと言えよう
ああ疲れた
ほんとうに疲れた
シーツが
黙って差し出す白い手の中で
いたい、いたい、とたわむれている
にぎやかな夜は
まるで私ひとりの祝祭日だ。
詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』1959年
40に近い女性が、一人きりで、背骨の手術を受ける。しかも、かなり症状は重い。 うめくほどに、痛い。 悲しく、辛い。孤独で、寂しさが極まる。
でも、ところどころをよく読んでみると、皮肉めいた、けれど実感が込められたような、感情のうらおもてが同居したような表現がたくさんあることに、気づく。
「私を横に寝かせて起こさない 重い病気が恋人のようだ」。
「重い病気が、恋人?」。独身で頼れる身寄りが無かった彼女にとっては、守るべき家族こそが心のよりどころだった、という。そして、その世帯には自分しか経済的な柱はいない。だから、なにがあっても休まず、働かなくては。
だからこそ、「重い病気」くらいの重りでなければ、彼女になにもしないでいい自由がなかった。だから、病気こそは嬉しくない来訪者ではあるけれど、ひとときの自由を与えてくれる者でもある。
「貧しければ親族にも甘えかねた さみしい心が解けてゆく」。
唯一の大黒柱であった彼女にとって、親族にも頼る先はない。でも、病院のベッドには、入院という言い訳には、思う存分甘えることができる。世間の束縛から解かれて。
「そのとき私はやさしく、病気に向かっていこう 死んでもいいのよ」。
死んでしまったら、残された家族は困窮してしまうけれど。それは同時に、いろいろ背負ってきてしまったことごとからの解放でもある。だから、もういいんじゃない、とでもいうような、独白。
「ねむれない夜の苦しみも このさき生きてゆくそれにくらべたら どうして大きいと言えよう」。
この手術が成功して、このさきもこの生活を続けるとしたら。そのことと、ここで死んでしまうことを天秤にかける。苦しみに意味を見出す。まるで福島智『ぼくの命は言葉とともにある』のような哲学。
「いたい、いたい、とたわむれている にぎやかな夜は まるで私ひとりの祝祭日だ」。
「にぎやかな夜」のせいなのは、シーツの下で、自分の手足がもがいているからだ。でも、そんな状況さえも「私ひとりの祝祭日」としてしまう。
こんな、重すぎる人生のボディーブロウを連打しつつも、わたしたちが分かっていることは、これは詩という表現だということ。石垣氏は何度も推敲を重ねて、バランスを取りつつ、この表現のプラスとマイナスをぶつける実験をしていたということ。
CERNの素粒子実験ではないけれど。ある意味、彼女は少しの興奮を覚えつつ、この編集体験を繰り返していたのではないか。そしてその結果は、(少なくともわたしは)人生や、孤独や、痛みや、疲れ、に対して、ガラッと見方が変わるような気がしている。
石垣りん氏にとって、独身女性の孤独、経済的に支えていかねばならない家族、死ぬかもしれない手術さえも、なんてこともない。詩を通せば相対化されてしまう。
そんな意味で、彼女は「20世紀最高のオプティミスト」なのではないかと思った。
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